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禅僧の考える「自己」「善」「倫理」とは 「善の根拠」南直哉

善の根拠 (講談社現代新書)

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1.要約

本書では禅僧の立場から「善悪」について考えている。
そして善悪を考えると、必然的に善を課す者あるいは悪を罰するものが存在するという。
そこで論点が善悪から「自己」と「他者」に移る。

著者の結論は前半の10ページ程度で全てまとまっている。
その序盤から2箇所引用する。

「自己」はそれ自体に根拠を持つ「実体」的存在ではなく、「他者に課される」ことによって、その根底から構造化されている。また、その「他者」は「課す」行為において、「自己」に「原因」的に組み込まれて「他者」たりえている。

矛盾と困難に満ちた「自己」という存在様式を肯定し受容する態度を「善」と呼び、否定し拒絶する態度を「悪」と考える。

本書の主張の99%はこの2文に含まれてると言ってもいい。
それくらい最初の部分はよくまとまっている。
この後にこの理論の戒律への応用編と復習としての対話篇がある。

2.思ったこと

この人の本はこれで3冊目である。
どれも全てを理解したなんて言えないけれど、毎回ぐっとくる何かを感じている。
思うにこの人の論には、救いがないという救いがある。
例えば、

仏教が「無常」という根本教義において倫理的な危機を内包するのは、「自己であること」すなわち人間という在り方を解消すべきものと考えていて、原理的に肯定しないからである。

つまり「自己」を受容することが善である一方で、「自己」を解消し善も悪もない境地=ニルヴァーナを目指さなければならないというジレンマに追い込まれているのだ。

そんな救いのない状況で、例えば

「不殺生」戒は、人殺しは悪だ、などと漠然と言っているのではない。そうではなく、なによりもまず、自ら死を選択しないという意思と決断なのだ。自分で死なない、他人に殺させない(自殺幇助的行為)と言っているのだ。それこそが直接的な「他者に課せられた自己」の受容、その決断なのである。

「倫理」は「自己」であり続けようという意志。そして、そうである限りの「倫理」なのだ。

のようにそれでも主体であることを選び、考えることが宗教家の使命だと言っている。
どうしようもないと言って諦めることなく考え続けようとする態度に私はニーチェの超人を重ねてしまう。
このような強さに惹かれて私はまた南直哉さんの本を手に取るのだろう。

3.それから

不偸盗の項で語られる所有についての話、懺悔についての話はとても深イイ話だった。
それぞれこれ一つでブログの記事にしたい内容で、今回は内容を絞るのに苦労しました。
私が読んだ残りの本は下の本で、どちらもオススメです。

なんで右側だけ画像が下がるんだろう???

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