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生きる意味の転回 『夜と霧』V・E・フランクル

夜と霧 新版


この本は心理学者による強制収容所の体験記である。
強制収容所とは、つまりナチス・ドイツによるユダヤ人の収容所を指す。
前半は体験記の要素が、後半は心理学の要素が強くなっている。

体験記の部分について、自分の感想を語ることは難しい。
読まなければわからないし、読んだところで同じ体験ができるわけではない。
むしろ完全に同化できない不十分な想像力に安堵せざるを得ない。

それでも、辛い収容所暮らしの中で妻を想うことで救われたことや
ヘトヘトでも暮れゆく夕日を見るために駆け出したということが
極限状態でも人間はこんなに強くあれるのかと印象に残った。
愛について力強い一文を引用しておく。

人は、この世にもはやなにも残されていなくても、心の奥底で愛する人の面影に思いをこらせば、ほんのいっときにせよ至福の境地になれるということを、わたしは理解したのだ

ただこうやってちょっと良さげなことを書いている箇所だけを
切り取ることはアンフェアなことだろう。
救われる思いをする部分もあるが、たいていのページは読むのが苦しい。

そうして試練を乗り越えた読者は心理学主体の後半へと歩みを進める。
フランクルの思想はそれだけで大きな価値と説得力を持つとは思う。
それでもここまでの体験の上で語られると絶大な真理性を持つ。

フランクルは「あの状況ではほかにどうしようもなかったのか」と問う。
そして、「わたし」を見失わなかった英雄的な人の例ぽつぽつと見受けられた、
つまり「ほかのありようがあった」としているのだ。

人間はひとりひとり、(このような状況にあってなお、収容所に入れられた)自分がどのような精神的存在になるかについて、なんらかの決断を下せるのだ

※原文に()はついてない

収容所の中のフランクルがこのように考えるのだ、
いわんや自由な我々がこのように考えられないことがあるだろうか?

おおかたの被収容者の被収容者の心を悩ませていたのは、収容所を生きしのぐことができるか、という問いだった。生きしのげないのなら、この苦しみのすべてには意味がないと。
しかし、私の心をさいなんでいたのは、これとは逆の問いだった。すなわち、わたしたちを取り巻くこのすべての苦しみや死に意味はあるのか、という問いだ。

ここに生きる意味のコペルニクス的転回がある。つまり、

わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているのかが問題なのだ

その後に続く文章も非常に力強い熱のこもった文章である。
その少し先の罰で断食させられた日のみんなを勇気づけるための演説も素晴らしい。
一方でその直後にこういう文が続くから、
この本が一生忘れられない本になるのだろうという予感がするのだとも思う。

しかし、この夜のように、苦しみをともにする仲間の心の奥底に触れようとふるい立つだけの精神力をもてたのはごくまれなことで、こうした機会はいくらでもあったのにそれを利用しなかったことを、わたしは告白しなければならない

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