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通読するべき良書を紹介します
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今回の記事はブログに書きたかったけれど、
書けないまま他の書きたい本がたまってきて
もう書かないだろうなと思った本を短く紹介するという企画です。
世の中に読書術を紹介する本はわんさかとあります。
それらの多くは「こういう読み方をするとよく理解できる」だとか
「こういう読み方をすると(仕事などで)成果に効率良く結びつく」など
読書でチャンスを作る、あるいはチャンスをものにするための本が多いと思います。
しかし、この本のテーマは違うのです。
自分が、特にメンタルがピンチな時にそれをやり過ごすための読書術が紹介されています。
そのためきれいごとでお茶を濁すということをしていません。
不安を癒やすためなら積極的に他人の不幸を求めよ(本の中に)
とアドバイスしたりするぐらい正直な本です。
この本は話の続き方が独特だ。
こういうジャンルがオススメだよと言ったあとに
そういう本はこういう読み方がいいですよと言って
それから図書館や本屋など本のたくさんある場所の話へと続いたりする。
それで何の話だっけ?と思うと途端に不安になるかもしれない。
でも読書を自分だけにとって絶対的価値をもつような体験にしなさい
というメッセージは確かにそうかもしれないと感心させられました。
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この本は『「処方せん」的読書術』の
第三章 折れない心を作るための読書ー栄養剤
の本文で引用されていた本。
フランス革命の前後のパリで死刑執行人を務めた一家の話。
この本のいいところは歴史を説明する学術的な側面を残しながら 死刑執行人サンソンを主人公にした、歴史小説のような読み心地を実現したことだ。 日本の歴史小説はよくあるが、西洋の(しかも本格的な)歴史小説は 自分はあまり見かけないジャンルなので、それだけで一定の価値があると思います。
不当に忌避される死刑執行人の社会における立ち位置、残虐な刑の執行方法への違和感など
死刑執行人ならではの葛藤が描かれているが、
それらのテーマは自分の生活にもつながるものを含んでいる。
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この本は時代的に『死刑執行人サンソン』の少し後に出版されたものだ。
<法=権利>は闘争によって獲得されてきた。
闘わないことは己の人格の侵害を許容することを意味する。
権利のために闘うことは自分のためであることはもちろんだが
国家・社会に対する義務でもある。
と闘争の重要性を説いている。
たまたま上のサンソンを読んだ直後だったので、さもありなむと深く納得した。
現代日本という極めて優れた環境にある自分は、多くの権利を保障されている。
しかしこれらの権利が闘争の末に獲得されたものであること、
さらにはそれを守るために闘わなければならないことは忘れ去られてしまっている。
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面白くなければ意味が無い
とまで言い切っていたかは知らないけれど
古典は面白いから読んでみなYO!(別にラッパー風でもないけど)
みたいな感じの本。
途中からやたらと洗濯の話をしていた。
洗濯する女のふくらはぎがセクシーだったとか。
でも洗濯という観点から複数の古典を読むというのは面白かった。
著者は古典に実用性がないと言っていた。
だから面白いと思うように読むのだと。
しかしこの本を読んで、古典を引用すると文章に箔が付くとよく分かった。
例えば『莊子』で作者が死んでいるような古典を読むことに意味は無いと言わしめ、
『論語』で本や先生から学ぶだけではダメで自分で考えないといけないとした。
さもなければ『莊子』の言うとおり古典はカスみたいなものになってしまうのだと。
これを受けて、「今」の「自分」がどのように考えているかを大事にすれば
古典を読むことにも意味があるのだと論じているのです。
なんと壮大なツンデレでしょうか!?
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