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ファッション界転換の10年間 『モードとエロスと資本』中野香織

モードとエロスと資本 (集英社新書)


0.はじめに

ファッションとは現実を越えていくための力である。
停滞する現実を打破するため、あるいはそれを期待させてくれるから人は装いに気を配る。
さらにファッションは資本主義を駆り立てた車輪でもあった。
ファッションは違法恋愛(=不倫)において効力を発揮し、
それは贅沢品をプレゼントすることにつながり、
その競争はモードの周期を縮めることで資本主義の発展に貢献した。

2000年代は100年に一度の大不況にも見舞われたが、
ファッション界でも激動の10年間だった。

この本は2000年代のファッションを振り返る一冊である。
2010年代の半分を過ぎた今、この本を読むのは遅いのかもしれない。
しかし私はファッションをカケラも理解しない男なので
むしろちょうど良いぐらいだったと言える。
この開き直りを登美彦氏の言葉を借りて言えばこうなるだろう。

こういった潔さには自信がある。
つまりは紳士だということだ。(森見登美彦『四畳半神話大系』)

1.~2000年(代前半)

本とは違う章立てで記事を書こうと思います。
まず2000年(代前半)までのファッションがどうであったかを見てみよう。

かつてはファストファッションの時代だった。
つまり、安くてトレンディで、シーズンごとにどんどん買って、飽きれば気軽に捨てる、
そんな消費行動がファッショナブルな振る舞いだとされていた時代だった。

そして、ファッショナブルなモテ服に身を包めば
それが恋愛における成功に結びつくと信仰されていた時代だった。
異性目線を多分に取り入れた、相手をもてなす魅力の表現であるセクシーが目標だった。

しかし100年に一度の大不況に見舞われる……

2.失わないためのファッション

この章では働く人のファッションがどうなったかを見てみよう。
不況の時代、人々の意識はせめて今あるものを失わないことを願った。
つまり、成功を失わないことで定義したのだ。
その結果、新種のパワードレッシングが台頭した。
元来パワードレッシングとは
野望や欲望にふさわしい自分を主張するギラギラしたファッションを指す言葉だった。

しかし2000年代の女性のパワードレッシングは
5cm以下のヒールをはいて、少なくとも口紅をつけ、強い香水を避ける、等
当然のマナーのようにも思えることばかりだった。
一方でネクタイ着用や高価なお仕立てスーツへの回帰という形で
男性のパワードレッシングは現れた。

それらの意味するところはこういうことである。

有能でさえあれば、なにを着ていても雇ってもらえた平和な時代は終わった。(中略)少しでもスマートでプロフェッショナルな印象を与えるべく、

装いに気をつけなければならないのだと。

3.倫理と恋愛

3.1.倫理の物語

同じ服を何度も着ることはファッション業界におけるタブーの一つ。
この間もその服着ていたなと思われることはオシャレではなかった。
そのため、不況の初期にはお金をかけずにワードローブを更新するために
衣服のスワッピングパーティーがよく開かれたらしい。

しかし不況も進み、このタブーが打ち破られた。
「プラダを着た悪魔」のモデルとされるカリスマ編集長が
十日の間に同じ服を三度も着まわしたのだ。

この意図的な行為は、ファストファッションのアンチテーゼを後押しした。
不況の時代に大量消費・大量廃棄するのはオシャレではないと宣戦布告したのだ。

そして「倫理の物語」が流行の前面へと押し出された。
富を誇示するためではなく、良心を誇示するために人は服を着るようになったのだ。

3.2.恋愛の物語の失脚

倫理という軸が勢力を拡大する一方で、
従来の夢であった恋愛の物語はその地位を失いつつある。

女性のモテ服は、男性からの支持が得られるというふれこみで売られているはずである。
しかし、現実にはモテ服は女同士の「どっちがモテそうか競争」用品に成り下がり
男不在の虚構的な様相を呈している。

男においてはより一層この傾向は顕著である。
なんと、ブランド物で身を固め、ワインについて一通り薀蓄が語れる紳士は
「モテないからこういう努力が必要なんだな」
と思われるというのだ。(※非合法恋愛には依然有効らしい)

つまり結論は次の身も蓋もない命題に収束する。

そもそも恋愛に常時恵まれている人は、あまりファッションに凝っていないことが多い。凝る必要がないのかもしれない。

※ただし、この命題の意味するところが
ファッショナブルであろうがなかろうが、モテない奴はモテない
と同値であることに注意する必要がある。
ファッションに気を使わなければモテるという単純な話ではない。

3.3.セクシーvsカワイイ・エロい

恋愛の物語が失脚して、異性を意識するセクシーと一線を画した概念が現れた。
それが「カワイイ」と「エロい」である。
「カワイイ」と「エロい」は互いに逆を向いた路線であるように見える。
しかし、男を無視して女同士で盛り上がるための服装だという共通点を持っている。

「カワイイ」も「エロい」もモテを目指したものではない。
それどころか、自分の道をマニアックに極めるための美学である。
例えば「カワイイ」路線で言うと、レベルが上がるにつれて
コスプレのように虚構度が増し、男が入る余地はますますなくなる。
目指す先にあるのは完璧な「カワイイ」だけである。

こうして行き場を失った女性のファッションエネルギーは
一見正反対の「カワイイ」と「エロい」の両極へと分断していったのだった。

4.まとめ

最も大きな変化は恋愛の物語から倫理の物語へ転換したことだ。
オシャレであればモテるという幻想は未だに残っているものの、
その影響力はかつてのように絶対的ではない。
それに取って代わるエネルギーとして倫理の物語が消費されるようになった。

一方で、衰退する恋愛の物語の幻想にすがるものもまだいる。
そういう人たちはモテるかどうかよりもモテそうかどうかに傾倒する
という虚構に魅入っている。
つまりファッションの知識を仕入れることそれ自体が目的となってしまった。
要するにオタク化が進行している。

このような変化につぐ変化の中で不動のものがある。
それは例えば消費者だ。
倫理的なブランドを選ぶことで、自分も同じ価値観の持ち主として同定される
と相変わらず期待をしている。
現地の人々と環境に配慮したTシャツなら1枚2万円でも当然の価格だと納得する。
しかしこれは格調高いブランドの歴史を知って、値段の高さに納得するのと同じだ。
そして、企業がそんな消費者を巧みに取り込もうとしているのも同じである。

エネルギーが変わっても、そのシステムはあまり変わっていないのだ。

5.おわりに

ファッションと経済、消費行動の結びつきがよく分かって面白い本だった。
オタク化の続きが知りたい人はこの本に有意義なことが書いてあったように思う。

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)


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