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古代史のすすめ 『飛鳥を掘る』河上邦彦

飛鳥を掘る (講談社選書メチエ)


私には何人かの師匠がいる。
一番最近になってできた師匠が古代史の師匠である。

人は誰しもそのツボを突かれると不思議なくらい
しゃべりたいという衝動を抑えられなくなるようなそんなツボを持っている。
この師匠は普通に(古代史とは関係なく)出会った明るいナイスミドルなのだが、
その方のツボが古代史だったのだ。

自分には入門するというほどの燃えたぎるような熱意はないが
その方がとても楽しそうに古代史の話をするので
自分も手を出してみることにしたというところである。

古代史の本はこれで4,5冊目になる。
現時点で分かっている古代史のすごさは
その4,5冊分の知識が全く有機的に結びつかないことだ。

普通はそれくらいの量をこなせば、
何らかの共通理解あるいは正反対の意見というものが見えてくるものだと思う。
しかしながら、自分が読んだ本からは全くつながりが見いだせない。

概して古代史の研究者というのは基礎知識の量がハンパない。
記紀から引用したり、自分で発掘したり、地理も把握していたりするのは当たり前で
それらの土台の上に推論を組み立てて、その説の証拠を集めるのが彼らの仕事である。

つまり本に書くまでもない(と著者が思っている)膨大な基礎部分が
自分にはないので、それを結びつけることができないのだろう。

また古代史の本を読む上で難しさの一つとして推論の正しさがよく分からないということがある。
例えば
「○○についてAという説があるが、資料Xの△△という記述から私はBが正しいと思う。」
と書いてあったとして
まずその資料はどれくらい信用していいのかという疑問があり、
さらには他の資料に説Aを補強する記述はないのかという疑問もあり、
最後にはAでもBでもない説が真実だということはないのかとも思ったりする。
そのような懐疑を自力で撥ね退ける事ができない。

それから古代史の本には細かいところを律儀に気にする傾向にあるとも言える。
例えば、私にとって具体的なある「謎の石造物」について
これまでどのような説があったのかや著者の提唱する新説には特に興味が無い。
「酒船石が実は占いの道具だった」という仮説などどうでもいいのだ。
(ただし推論の過程は興味深いことも多い)

初心者である私が心惹かれるのはもう少し規模の大きな話である。
今回自分できちんと納得できたことは次の3つである。

まず飛鳥は石と水の都だったということ。
それから古墳の位置と向きは風水の影響を受けているということ。
最後に石舞台古墳は他の古い古墳を上書きして作られていることである。

これくらい大きめの話題でないと集中も続かないし、そうなんだと思うのも難しい。
ただし最後の項目は文章も上手く、へぇ~、なるほどーと思いながら読むことができた。

新しいジャンルを開拓するというのはワクワクするものだろう。
そしてそれが手強ければ手強いほど、楽しみもそれだけ大きいはず。
そのように考えるタイプの読書家のあなたは古代史に向いていると思います!
ぜひこの奥深いジャンルに挑戦してみてください。


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